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クロペディア

 フリー百科事典

Clock Locks

Clock Lock(クロックロックス)は、日本のバンド。略称「クロクロ」

1 概要

 1.1 バンド名の由来

2 来歴

 2.1 バンド結成から個人名での活動になるまで

 2.2 個人名になってからの活動

 2.3 改めてバンド名になってからの活動

3 作品

 3.1 シングル

 3.2 アルバム

 3.3映像作品

4 LIVE イベント

 4.1 自主企画LIVE

 4.2 ツアー

Clock Locks

左からBa.荒井祐麻 Dr.鈴木悠祈 

Vo.Gt.樋口和真 Key.廣瀬椿 Gt.山口拓斗

(2015年)

基本情報

出身地   Ba.荒井祐麻   千葉県

       Dr.鈴木悠祈   埼玉県

Vo.Gt.樋口和真 埼玉県       

       Gt.廣瀬椿     埼玉県

       Gt.山口拓斗   神奈川県

ジャンル  ポップ・ロック

活動期間 2012年−

公式サイト

http://clocklocks.wix.com/clocklock-sofficlweb

 

概要

2012年東京スクールオブミュージック専門学校渋谷で、今のClock Locksの原型となるバンドを結成。

結成のきっかけとなったのは、Vo.Gt.樋口和真が高校時代から弾き語りでオリジナル楽曲を作っいて、専門学校の体験入学でオリジナルを披露していたのを学校の先生が見ていて、学校入学後すぐ「樋口くんはバンドとか興味ないの?」と聞かれ、「バンドはすごくやりたいんですけど、入学してすぐだし、楽器陣の知り合いがまだいなくて。。」と話すと、「先生が樋口くんに会いそうなメンバーがいるから一緒にスタジオに入れば?」と言われ

スタジオに入ったのがきっかけ。

当時のメンバーがGt.山崎開、Ba.荒井祐麻、Dr.舘智之、Key.chika(現在Milkey Millton)

一番最初にClock Locksでスタジオでやった曲は「希望という名の光」

2013年7月にGt.山崎開が脱退し、Gt.山口拓斗が加入

2013年3月にKey.chikaがガールズバンド、Milkey Millton一本で頑張っていきたいと決断し、専門学校卒業と同時にClock Locksを脱退し、2015年11月の廣瀬椿加入まで、Key.なしの4人での活動になる。

2014年12月18日音活Vol.5〜アフターファイブの過ごし方〜でDr.舘智之が脱退し事実上、活動休止となる。

年が明けて2015年になりメンバー4人で話し合いがあり、知り合いの伝や紹介を頼りにDr.探しが始まる。しかしメンバーの中にDr.の知り合いがあまりにも少なく、バンドメンバー募集サイトなどでもメールを送りまくり、約30人もの人とコンタクトを取った。そして最終的にオーディションという形をとり、最終2人まで絞って約半年に渡りオーディションをしてDr.鈴木悠祈が正式加入となる。

バンド名の由来

もともと先生のよって集められたメンバー(樋口和真、山崎開、荒井祐麻、松舘智之、chika)は学校の授業でバンド名を決めなくちゃいけない状況になり、そこでバンド名を決めた。

繰り返す響きが良い!とVo.Gt.樋口和真が主張して、愛称があって親しみがあると良いよね!と発してそこから決めることに。

Dr.松舘智之がサンダルのクロックスを履いていて、「クロクロ」とか可愛いよねと話が盛り上がり

クロックスを繰り返す感じになり、「クロックロックス」という響きでバンド名が決定。

Vo.Gt.樋口和真のこだわりで"Lock"という単語を入れたいと強く志願し、"Rock"ではなく"Lock"が良いんだ!と変なこだわりから英語表記の「Clock Locks」と決定。(当時、樋口和真がよく効いていたラジオSCHOOL OF LOCKからLOCKのスペルが気に入っていると思われる。)

響きだけて決めたバンド名の由来をカッコ良くするため、後付けで「時間に鍵をかける」「LIVEの時間を自分たちで操れる」という意味合いをつけた。

来歴

バンド結成から個人名での活動になるまで

学校の先生の呼びかけによって集まった5人(樋口和真、山崎開、荒井祐麻、松舘智之、chika)は学校のあるオーディションの日にBa.荒井祐麻が遅刻をやらかした。

そこでVo.樋口和真が激怒し、オーディション前にもかかわらずメンバーを集めて説教することに。

それを見ていた、学校の先生がメンバーを集めて「なんか、バンドとして活動しているよりも、樋口くんが一人だけ頑張っている感じがして、バンドとしてじゃなくてサポートメンバーにしたら?」と言われた。

高校時代からバンドへの憧れがあった樋口はショックが隠しきれなかったが、泣く泣く「樋口和真」として個人の名義で活動することに。

個人の活動期間 2012年8月頃〜2013年9月まで

「樋口和真」としての活動が始まって、メンバーそれぞれ他のバンドで活動することになった。

バンドとしての活動も衰えることはなく、自分たちのやりたいことを考えて方針としては、あくまで「バンド」として活動を続ける。

その精力的な活動表れとして関西へのツアーを当時のメンバー(樋口和真、山崎開、荒井祐麻、松舘智之、chika)で成功させた。

関西のツアーは大阪、京都、滋賀、名古屋、ツアーファイナルで東京を回る。2013年5月

 

同年の7月にGt.山崎開が自分のやっているバンド「Ture Fiction」一本でやっていきたい。となり

7月の渋谷aubeでのライブでラストライブになった。

山崎開に脱退したいと打ち明けられた樋口は、その日に新しいGt.を探さなきゃ!と思い、思い当たる山口拓斗に声をかけた。当時、山口拓斗が組んでいたバンド「Fog lamp」(山口はVo.Gt.でスリーピースバンド 作詞作曲も山口が担当)をやっていることを知っていたが、ギターもうまいし、機材もよく知ってるし、うちでやってくれないかなー。と思いバンドでGt.を探していると勧誘。すると、山口も「実はFog Lamp、解散することになってるんだよね」とその場で山口がClock LocksのGt.を後任した。

 

「樋口和真」での活動がGt.が入れ替わったあとも続き、1年前に受けた学校でのオーディション(Ba.荒井が遅刻してVo.樋口が大激怒した事件)が翌年も行われ、受けることになった。(ミュージカル明日への扉 骨髄移植キャンペーン 劇中バンドオーディション)

Gt.山口が加入して間もなくのオーディションでやる曲を決め兼ねて、オーディションの趣旨とは違ったバラード曲「二人」を演奏。やはり、趣旨が違すぎてオーディションの審査をしている先生方からも「何もわかってないやんけー!」と怒られ

「もう一度、楽曲を変えるので受けさせてください!」と志願。先生方からの仕方ないという、言葉をもらって楽曲を変えて

再度オーディションを受け直すという前代未聞なことをやってのけた。

そこで演奏された曲が「a part」(初の自主制作アルバム「TIME」のリード曲)

オーディションの結果は、見事合格。

「ミュージカル明日への扉 骨髄移植キャンペーン」の劇中バンドに選ばれ、劇中のバンド名を決めなくてはならないということに。「樋口和真バンド」だとパンフレットに載せられないからということでバンド名を決めることに。

いろいろと新たにバンド名が出て決めようとメンバーで話し合ったが、しっくりこず。

そこで、メンバー一同ずっと心にあった「Clock Locks」という名前が出て「これでいこう!」と決まり

この劇中の間はバンド名を決めてやっていこうと決めた。

オーディションを校内、校外でたくさん受けていた「樋口和真バンド」はまったく棒にも箸にも掛からなく

この「ミュージカル明日への扉 骨髄移植キャンペーン」の劇中バンドに選ばれたことがすごく自信につながりバンドとしての結束が強まり、周りの反応も好感がありこのミュージカルを機にバンドでやっていくことを決めた。

 

個人名になってからの活動

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